金の足柳か、惰性的思考か以上述べたように、起こったというのが、現在のアメリカ経済学界の主流の意見である。
しかし、それ以外、またはそれを補完する意見もある。
この期間、連邦準備銀行の金融政策運営の基準であった真正手形ドクトリンも大きな影響を与えた可能連邦準備銀行に与えられた使命は、銀行が危機に陥らないように監督するとともに、危機に陥った銀行を救済することにあった。
しかし、どうすればそれができるのか。
真正手形ドクトリンとは、そのために連邦準備銀行が採用した準則であり、短期のコマーシャルペーパー(商業手形)に対してのみ連邦準備銀行が割引を行うことである。
コマーシャルペーパーは、株式市場や投機を目的とした手形とは異なり、実体経済の必要に応じて発行された真正の手形であり、この真正の手形に応じて金融調節をすることが、正しい金融政策運営の基準を与えることになると考えられたのである。
しかし、景気のよいときにはコマーシャルペーパーの量が増大し、景気の悪いときには減少する。
それに応じて金融調節を行えば、経済が拡張しているときには信用を拡大し、経済が縮小しているときに信用を抑制することになった。
不況のときに信用を縮小すれば景気をさらに悪化させるが、大恐慌期に起こったことはさらに極端だった。
大恐慌が29年の10月に始まってから1年後、30年の10月に銀行とりつけが起こりはじめた。
それまでに不況が1年続いていたので、銀行にはコマーシャルペーパーがほとんどなかった。
銀行はコマーシャルペーパーを担保として用意できず、連邦準備銀行は貸し出しを拒否した。
こうして銀行倒産が頻繁に起こり、人びとは預金を現金に換え、マネーサプライはさらに激減した。
30年代の金融政策の誤りの要因として、さらに、金利の低いことを連邦準備銀行が金融緩和の証拠だと考えていたこともあげられよう。
30年夏に、各地区の連邦準備銀行の総裁たちは、「現行の異常に低い金利をさらに下げることは愚かなことである」「信用は安くて豊富に供給されているので、これ以上信用を安く豊富にしても景気回復が加速するとは信じられない」「生産過剰をさらに促し、他方では借り入れを容易にし、消費を増加させる」。
刺激的な30年代の連銀とN銀行の思想の類似性。
さらに恐ろしい説もある。
金本位制が恐慌の世界的伝播をもたらしたことを認めつつ、恐慌の中心であるアメリカの金融緊縮政策は金本位制とはかかわりなく、金融政策の効果についての誤った認識や地域連邦準備銀行相互間の主導権争いのなかで生み出されたという。
論文は、ニューヨーク連邦準備銀行総裁のHら大恐慌期の関係者の発言や議事録を詳細に検討し、当時の連邦準備銀行首脳に、「市中銀行の超過準備状況から判断して金融は十分緩和している」「金融緩和によりデフレスパイラルは食いとめられた」「これ以上の公開市場操作は意味をもたない」といった認識があったことを明らかにした。
70年前の連邦準備銀行関係者の認識は、今日のN銀行関係者の、自分たちは責任をする「金融政策の危険性」を指摘していた。
彼らがこう判断した根拠は、名目金利が大恐慌前の6%から3%へと低下していたことにある。
しかし、物価下落のなかでの多少の名目金利の低下は金融緩和の証拠とはならない。
30年の卸売物価の下落率は10%であり、実質金利は13%へと急上昇していたのであるから。
マネーサプライは、実質GNPがピークだった29年第34半期から、ボトムである33年の第14半期までの皿4半期のあいだに30%減少した。
ところが、33年第14半期から、36年第34半期までの皿4半期のあいだに36%上昇した。
マネーサプライの上昇とともに、実質GNPは36年の第34半期までに46%上昇した。
大恐慌のもっとも深刻な時期は終わったのである。
ただし、大恐慌の結果、採用されたさまざまな改革は経済的根拠に乏しく、むしろアメリカ経済を非効率にし、その後の回復を緩慢にするものだった(このことについては後述する)。
大恐慌は、マネーサプライの急激な縮小という金融的ショックによって起こった。
とすればならない。
現実に起きたことも、そのとおりだった。
では、なぜマネーサプライは急激に拡大したのだろうか。
大恐慌期にハイパワードマネーは増大していた。
したがって、マネーサプライが低下したのは、信用乗数が低下していたからだった。
信用乗数は、29年の第44半期の6・5から、33年第14半期には3・8まで低下していた。
人びとは現金をもち、銀行は準備預金を膨大にもっていたのである。
この状況を、連邦準備銀行は、過大な流動性をもっていると考えていたようであるが、そうではなかった。
銀行の破綻が続き、物価の下落が期待される状況では、多くの流動性をもこのような実質GDPの短期間での急上昇が、構造変化によらないものであることも明らかである。
構造が短期間に変化するとは考えられないからである。
このことは、大恐慌の底からの、さらに短期の変化をとってみれば明らかになる。
33年第14半期から第三4半期のあいだに、実質GDPは16%上昇している。
これが、構造変化によらないことは確かである。
変わったのはデフレが終わるという期待であり、それが永続するような金融政策が採用される(すなわちマネーサプライが急増する)という現実の変化である。
デフレが終わると思えば、人びとは支出を行う。
人びとの期待の変化とともに信用乗数の1低下は落ち着き、マーシャルは急激に低下した。
人びとは流動性を、資産や耐久財に変えることが合理的だったのである。
人びとは安心して銀行に預けることができなかったし、物価が下落するなかでは、物価の動向を見きわめて資産を購入することが合理的だった。
流動性をもつことこそが高いリターンを生んだのだ。
株価は、大恐慌のボトムから36年にかけて3倍に上昇した。
地価についても同様のことがいえただろう。
流動性をもっていて、資産を底値で買うことが合理的で、長期の債券を買ったり、銀行借り入れを行って投資をすれば、そのようなチャンスを失うことになる。
流動性を求めて支出がなされないという状況は、マーシャルの動きでも説明できる。
マーシャルとは、マネーサプライを名目GNPで割ったものである。
総供給に対するマネーの比をあらわしており、平常時であれば、この値が高いということはマネーが十分に供給されているということになる。
90年代の日本においても、この比の高いことが、マネーが十分に供給されていることを認められた。
国民が金融緩和で大恐慌を劇的に脱した国々。
では、なぜ人びとの期待が変わったのだろうか。
33年3月にルーズベルト政権が誕生し、4月に金本位制を離脱したからである。
ルーズベルト政権が、デフレを阻止するために、いかなることをも行うという決意を示し、金融引き締め政策が大恐慌をもたらしたということは、多くの国が金融緩和によって大恐慌から劇的に脱出していることで裏付けられる。
図は、主要国の物価と鉱工業生産の変化を、29年から31年、32年から35年について示したものである。
これで見ても、物人間が変われば、政策が変わるという期待が生まれる。
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